いくら車が好きと言っても、全てを知り尽くしている人は存在しません。
「そうだったの?!」と言うことがまだまだたくさんあるのです。そういったトリビア的な小ネタをジャンル問わずいつくかご紹介いたします。
目次
スズキ・ハスラー
「Keiのユーザーの猛プッシュがあって開発をスタートした」
ハスラーはスズキが2014年から販売している軽自動車。
その誕生のきっかけとなったのは、ユーザーの声がありました。
かつてスズキには大径タイヤを履き地上高を高くしたセダンとSUVのクロスオーバーである「Kei」(1998~)が存在しましたが、2009年に生産終了となりました。その後、鈴木修会長が出張先で食事をしていたとき、Keiを愛用していたユーザーから「どうしてKeiを無くしてしまったのですか。ぜひつくってください」と強くお願いされ、軽クロスオーバーの需要があると判断し、後継車として「ハスラー」の開発が進められました。
確かにKeiもクロスオーバーっぽかった
マツダ・アテンザ
「クモが巣を作るためリコールした」
アテンザはマツダでかつて生産・販売されていた乗用車。日本国外では2002年の販売当初から「Mazda6」のモデル名で販売されていました。
2008年から2012年まで生産されていた2代目では、アメリカ市場において2011年に2009年 – 2010年モデルを65,000台、2014年に2010年 – 2012年モデルを42,000台のリコールを行っています。これはガソリンの匂いを好むクモが巣を作り、エンジンの通気を阻害することに起因するもので、タンクの亀裂や燃料漏れを起こし火災のリスクを増大させる恐れがありました。クモが入り込まないよう改良策を講じ解消させました。
アメリカのクモ特有であった
ホンダ・トゥデイ
「マイナーチェンジでセダンがハッチバックになった」
トゥデイはホンダが1985年から1998年にかけて製造・販売した軽自動車。
1993年にデビューした2代目では、当初独立した荷室となるトランクを採用したセミノッチバック(リアオーバーハングが極端に短いセダン形状)でした。しかし使い勝手が悪く市場には不評だったこともあり、1996年のマイナーチェンジでオーソドックスなハッチバックに変更されました。
大胆な変更
スズキ・カルタス
「販売中止されたモデルに乗っている人がいる」
カルタスはスズキが製造、販売していた乗用車。
1995年から2002年にかけて販売されていた3代目の4ドアセダンには国内向けに1.5Lと1.6Lのグレードが存在していました。のちに1.8Lのモデルが計画され型式認証まで取得したものの、その計画は頓挫し発売は白紙になりました。
この際に検査登録のため製作されたナンバー付きのカルタスセダン1.8は2台存在し、当時の内山久男会長と鈴木修社長が乗ることになったものの社長の1台は事故で全損してしまったため、会長が乗る1台がカルタスセダン唯一の1.8Lモデルとして生き残りました。そして会長と親交があった同社の社員に引き継がれ、現在でも存在しているのです。
試作車に乗ってしまうというのも時代なのか?(画像は参考)
三菱・デリカ:D2
「ハイブリッドのバッジがソリオと違う」
デリカ D:2は、三菱自動車工業が販売するAセグメント級の小型ハイトワゴン。初代からスズキ・ソリオ(2代目以降)のOEM車です。
2020年から販売を開始した3代目でも初代・2代目同様、OEM元のソリオと大きな変更はなくエンブレム類の変更程度にとどまりますが、2代目では3代目ソリオと同一デザインだった「HYBRID」ロゴの専用エンブレムが、3代目ではeKシリーズ(eKクロス/eKクロス スペース、2代目eKスペース)と同じデザインのエンブレムに変更されました。
三菱で統一させるというこだわり