いくら車が好きと言っても、全てを知り尽くしている人は存在しません。
「そうだったの?!」と言うことがまだまだたくさんあるのです。そういったトリビア的な小ネタをジャンル問わずいつくかご紹介いたします。
目次
テスラ
「イーロン・マスクはもともと創設者ではない」
電気自動車で世界を制するまでに成長した、アメリカの電動輸送機器およびクリーンエネルギー企業 テスラ。
そのCEOとして手腕を発揮するイーロン・マスクはもともとテスラの創設者ではありません。「テスラモータース」は2003年7月1日にエンジニアのマーティン・エバーハード(Martin Eberhard)とマーク・ターペニング(Marc Tarpenning)によってアメリカ デラウェア州にて創設されました。
イーロン・マスクは2004年2月のシリーズAラウンドの出資を主導し、多額の出資をしたことで大株主となり会長としてテスラの取締役会に参加。元の創設者から「創設者を不当に名乗っている」と訴訟になったこともありましたが、のちに和解しテスラの共同創業者として認定されています。
テスラが最初の車を出した頃のお話
スバル・エクシーガ
「スバル初の自社開発ミニバン」
スバルが2008年から2015年まで生産・販売していた乗用車。
水平対向エンジンやAWDなど、スバルの特徴を強く表した自社開発の多人数乗り乗用車として開発されたのがエクシーガです。
それまでには軽自動車ベースに排気量を拡大した「ドミンゴ」やオペル車のOEM「トラヴィック」といった7人乗りの車種を販売していましたが、エクシーガがスバルとしては初の三列シートミニバンとなります。
他社と比較して登場が遅すぎる
ホンダ
「本田宗一郎がこだわったエンジンが原因で販売不振」
ホンダ初の小型乗用車「1300」は一体構造2重壁空冷方式という独創的な空冷エンジンを塔載していました。性能こそ称賛されたものの複雑な構造のため重く、タイヤが早く摩耗するなど様々な問題が発生。エンジンのコントロールも難しく価格も高かったため、期待した販売台数は得られませんでした。
時は”ホンダを本格的な4輪メーカーにしていこう”という勢いにあふれていた時代。満を持して投入した1300の販売不振という結果に、技術者たちは開発の陣頭指揮をとり空冷エンジンにこだわる宗一郎の責任を追及します。排ガスの対応も迫る中、どうしても水冷エンジンの開発をしたいと訴えることで宗一郎を説得。空冷エンジンを諦めさせることに成功します。
その後1300の生産中止と共に水冷エンジンは消滅。1971年の初代ライフ、初代シビックと水冷エンジン搭載車が次々にホンダから送り出されるようになります。
空冷エンジンを続けていたら未来は変わっていたかもしれない
マツダ
「最高級ブランドを作ろうとしていた」
マツダは、国外でもマツダブランドとは別に「アマティ」 (Amati)と呼ばれるプレミアムブランドの展開を計画していました。
アマティ1000という大型高級セダンを中核に、1994年春より北米で展開する予定であったアマティ計画は、アマティブランドのシンボルマークを発表していたのにもかかわらず、マツダの経営状況悪化のために全てがキャンセルされました。その後1995年11月に販売を開始した2代目センティアのスタイルは、幻に終わったアマティ1000のスタイルによく似ているといわれています。
二代目センティア
三菱・ミニキャブMiEV
「シガーソケット、灰皿を標準装備」
1999年2月に発売を開始した6代目ミニキャブをベースにEV化し、2011年12月に販売を開始したミニキャブMiEV。販売低迷を理由に2021年3月に生産を一旦休止したものの、脱炭素やカーボンニュートラルといった社会情勢における需要増加にこたえるため2022年11月に販売を再開しています。
EVといえば先進的なイメージの中、この車は商用車とはいえまさに90年代そのもの。簡素なインテリアには昨今では廃止されて久しいシガーソケットと灰皿が備わります。この2点を備えるEVはおそらく世界中探しても唯一なのではないでしょうか。
廃止するコストさえ惜しむスタイル